「脳年齢」という偏差値信仰

【書評】『脳を鍛える新聞の読みかた』川島隆太著(12/19 05:00) (Sankei Web)

難しい古典や名作を読むのには抵抗があっても、例えば、見慣れた朝刊コラムを声に出してできるだけ速く正確に読む▽天気欄の各地予想気温の最高と最低数値を足し算する▽一面トップ記事のリードをひらがなで書き写す—などの「音読+計算+筆記」いわば“現代の読み書きそろばん”作業だ。

  記憶力アップや認知症予防などに効果が期待でき、本の音読に続いて新聞音読普及をも目指す。

「産経抄」や「天声人語」とかが「難しい古典や名作」と比較して平易な文章だとしても、時々我田引水的な論の進め方で無理矢理時事問題へとこじつけていくような文章は、音読用としても不適切だと思う。新聞のコラムを文章の手本にしてはいけない、ということを知ったのは大学受験の時だったか、それとも受かってからだったか。「リード」ってのは見出しの次にある記事の要約だが、文字数の限られた中で新聞記者が略語を駆使して書いてる場合があるから(特に最終版ぎりぎりに間に合った速報記事)、日本語としておかしかったり意味不明なことも多い。

NIE(Newspaper in Education、教育に新聞を)というのも推進する新聞各社としてはこういう本を大喜びで取り上げるんだろうな。自社の主張を啓蒙して世論を誘導したいという第四の権力・マスメディアの思惑と合致するから。川島隆太はそういうのを意識したことがないんだろうか。

川島隆太といえばニンテンドーDSの「脳を鍛える大人のDSトレーニング」だが、「脳年齢」って信用できるんだろうか。それより脳年齢の数字に一喜一憂したり、脳年齢を若返らせようと躍起になったりするのは、偏差値信仰に似ている気がする。脳年齢なんて川島隆太が作った一つの尺度でしかない。そんなものだけで人間の頭の良さや悪さがわかるわけがない。ただの遊びならまだしも、こういうゲームが老人ホームや病院で認知症予防・改善に推奨されているとなると、ちょっと違うんじゃないか、と思えてくる。

なぜ認知症をそんなに忌み嫌うのか? 痴呆になってしまった人を忌み嫌うのではなく、まず受け入れることが大切だと思う。僕が入院した時、認知症ではないが車椅子のおばあさんが、嫁がリハビリを強要する、と言って悲しんでいた。ゲームでも誰もが楽しめるとは限らない。計算ドリルも認知症改善の名のもとに老人に苦痛を強いるのは良くない。そっとしておいたほうがいい。老人に対する敬意を忘れるな。僕の祖母も、何だか別の世界に行ってしまったようで、あれはあれで天使のようでステキでもある。

自分が認知症になりたくないという気持ちはわかる。でもいざそうなってみると、想像でしかないけど、たぶんたいしたことないと思う。自分が痴呆になっても自分を見守ってくれそうな、信頼できる家族や友人を作っておくことだ。

東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング

タイトル長すぎ。そのなんとかセンターってとこの宣伝も兼ねてるんだろう。研究予算たくさんもらえましたか?

肉体労働者がダイエットや健康維持のための運動をしないのと同じく、頭脳労働者(や普段からよく頭を使ってる人)が「脳を鍛える」必要などない。

3Dの川島教授って、彼はタレントにでもなりたかったんだろうか。

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