女子は母性、男子は罪悪感

ブログに志田未来と書くと確実にスパムトラックバックがやって来る昨今、それも「画像集めました」とか明らかに後ろ暗い趣味の輩からのもので、「14才の母」(日本テレビ系水曜 22時〜)主演はそういう不謹慎な野郎どもへの "ショック療法" 的な意図もあるのだろうか。

「よしよししたくなった」とか「何でこうしたくなるの」とか、それはあくまで女子からの視点で、妊娠するに至る行為というのは男子がそういう動機を持たなければ成立しない。男子からの視点が描写されていない。

少年期の男子は自分の性欲に気付くと、初めはそれに罪悪感を持つ。例えば「北の国から」(1981年〜1982年)で黒板純が、最近の僕は女の人の胸やお尻ばかり見てしまって、僕は病気でしょうか、と父親に打ち明けるくだりがある。父親の五郎は、それは病気じゃないよ、男の子はみんなそうなんだよ、と教えてやる。思春期にもなればそういう罪悪感はなくなってるかもしれないが、思春期の男子の恋愛感情というのは、アイツを俺の女にしてやるという支配欲か、あるいは自分を彼女に認めてもらいたい、そして自分の性欲も受け入れてほしい、と考えるものだと思う。女子は母性でそれを受け入れるだけなのかもしれないが、その辺の男子の恋愛感情と葛藤がドラマでは描かれていなかった。男として俺はこの一点だけは納得できない。

妊娠を周囲の人々が受け入れるかどうか、タイトルが「14才の母」なんだから結末はわかってるんだけどどういう過程でそこへたどりつくか、それには関心はない。相手の妊娠を知って彼はどう反応するのか、再び罪悪感が戻ってくるかもしれないし、そこはちょっと気になる。「北の国から’92巣立ち」の黒板純のように「父さん、僕は不純です」となるのか、あれは相手が「嫌われたくないの」でやむを得ず受け入れたので、純にも恋愛感情がなかったので「誠意って、何かね」という結末になったわけだけど。

未希って名前もどうだろう。「未だ希(ねが)わない」って。夜遅く帰って来た時の彼女はまさしくレベッカの「フレンズ」の歌詞のような素振りで、僕達はいつ大人になったんだろう、とか思ってしまった。

第 1 話だけ観て書くことは原則としてしない方針なんだけど、このドラマは妊娠までの経緯だけに注目していたので、たぶん第 2 話くらいまで観てやめると思うので書くことにした。こういう重いのは好みじゃないから。

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