転落人生をフィクションとして楽しめてしまう人間の恐ろしさ

「嫌われ松子の一生」(TBS系木曜 22時〜)第 2 話の放送日だったか、古本屋にいたら「松子バカなんだもん」という店員の声が聞こえてきた。第 1 話を観ての感想だろうけど、だってこのドラマおよび原作の小説は、お人好しで世間知らずの松子がどのようにして転落人生を歩んで行くか、というのをフィクションとして楽しむものだろう、松子がある程度バカじゃないと初めからストーリーが成り立たないじゃないか、と思った。

でもそういえば俺は TV ドラマについて書く時、この登場人物がムカつくとか嫌いだとかではなく、こうすればもっと面白くなるんじゃないかとか、その展開には無理があるとか納得できないとか、制作者の表現技術について書くことが多い。あるいは TV ドラマは単なるきっかけで教育や医療問題を語ったりしている。普通の人は俺とは違って、あいつが腹立つとか誰それが好きだとか頑張れとか思って観るんだろうな。

ただ「松子バカなんだもん」はたぶん自分なら要領よく切り抜けられると言いたいんだろうが、あの旅館での盗難騒ぎは実は旅館の不手際か、初めから旅館と校長が手を組んで仕組んだ罠だったかもしれず、いずれにしてもエロ校長に嫌われた松子は追い出されたであろう。

それにしても悲劇とも喜劇ともつかない得体の知れないストーリー展開にどれだけの視聴者がついてくるだろうか。第 2 話の悲劇的な内容の後にエンディングで「In The Mood」を聞くと、こういう話をフィクションとして楽しめてしまう人間って恐ろしいと感じた。実在の人物の話なら間違いなく悲劇である。第 3 話でも松子の妹・久美の登場シーンで流れる「子犬のワルツ」の不気味さ。「のだめカンタービレ」(フジテレビ系月曜 21時〜)はこれを見習ってほしい。劇中音楽にクラシックを多用するのはいいが、やりすぎてやかましくて品がなくなっている。

第 3 話の愛人・松子のいたずらとか岡野(谷原章介)の妻からの手切れ金とかの展開は「ウィークエンダー」の再現フィルムのようであった。エロ校長と世間の目とか、気負い過ぎて自滅する文学青年とか、1970年代半ばという時代背景も考慮に入れながら(または想像しながら)観る必要がある。萩原聖人が「ソープ」とつぶやいていたが当時の俗称は「トルコ風呂」である(参考: ソープランド Wikipedia)。この語を使えないのは仕方ないが、他の言葉で回避してほしかった。例えば「こんな風呂屋」とか。

内山理名演技変わったな。ここまでやる人じゃなかった。

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