美しい物語へ

第 2 話くらいまで観てやめると書いておきながら第 7 話まで観てしまっている「14才の母」であるが、いい役者を揃えてあれだけ丁寧に作ってあると最後まで観るしかないわけです。前回ああいうことを書いたのは、俺には思春期の少女の性欲というものが正直言ってわからないからなんだけど、このドラマでは少年少女の性欲というものは捨象されているようだ(追記)。

このドラマに対する批判として、14歳の性交渉自体を認めないというのならまだわかるが、それは認めるけど避妊しろよ、というのは的外れである。人間は完璧ではないから避妊しないこともある。だから妊娠してしまう可能性もある。このドラマはもしも自分の娘が妊娠して産む選択をしたら親はどうするべきか、もしも自分の身内が、自分の同級生が…というシミュレーションを提供して考えさせようとしているのである。避妊しろよで思考停止したい人は観なくてよい。それからあくまでどうするべきかの模範例であるから、田中美佐子や生瀬勝久が理想的な母親、理想的な父親を演じているのも、学校の対応が穏やかであるのも当然である。娘の彼氏がシングルマザーの息子というのはドラマとして面白くするためだろう。

第 4 話だったか、自らの命の危険を冒してまで産みたい理由は「会いたいの」…そう来たか。もっと言うと、たぶん人が子供を産む理由なんてのは言葉で説明できるようなものではないと思う。世の中には言葉で論理的には説明できないことがたくさんある。なぜ自殺してはいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、殺人はいけないのになぜ犯罪者の死刑は存在するのか、など。中絶せずに産む理由は決して「命の大切さ」ではない。「命の大切さ」にしても論理的に説明できるものではないし。かといって動物的本能の一言で片付けられるものでもない。人はなぜ子孫を残そうとするのか。例えば結婚したら子供を何人か作って老後は子供に養ってもらうのがいいか、それとも子供を作らずにお金を貯めて老後は夫婦二人と親しい友人とで気楽に過ごすのがいいか、あるいは結婚せずに仕事に生きて老後は親しい友人と、などと考えるような人は結婚しても子供を作らないか結婚しない選択をするに決まっている。そういう計算をする人が増えるから少子化になる。自分自身の煩悩のみに執着する刹那主義の人間が増えるから地球環境が破壊されていくのである。

ただ第 7 話くらいまでは自分の周囲でこんなことが起きたら、と想像しながら観ることができたが、少年齢妊娠・出産における命の危険という話になっていくと、やっぱりドラマだから自分自身に起こり得る事としては想像しにくいな、となってしまい、純粋にフィクションとして観るようになってしまう。フィクション性を高めてしまうと最初に投げかけた問題提起が忘れられてしまう。「女王の教室」のエピソード1 & 2 がそうだった。

追記: 2007年10月 7日

ここで使った「捨象」は誤用のようだ。「捨象」は「抽象」とほぼ同義、というか物事を抽象化する過程で行うのが「捨象」、ということらしい。

しゃしょう【捨象】
物事を論じる際に、本質的でないととらえられる部分を無視すること。「子供の個性を—しては教育の本質を論じられない」→抽象

いつも国語辞典で調べながら書いて投稿してるのに、この「無視」という語を見て誤解してしまったんだと思う。「少年少女の性欲というものは」無視されているようだ、あるいはあえて切り捨てられているようだ、と書くべきだった。

ちゅうしょう【抽象】
個個の事物や事象から、それらの範囲の全部のものに共通な要素を抜き出し、「およそ…と言われるものは そのようなものである」と頭の中でまとめあげること。「—性・—化・—画」←→具象・具体 →捨象

以上いずれも『新明解国語辞典 第六版』(三省堂、2005年)より。このドラマの主題は少年少女の性の乱れではなく、軽い気持ちで子供を産んで結局子育てできずに放置したり虐待したりという実態を描くことでもなく、「命の大切さ」というお題目を信仰して堕胎は殺人行為だから産むべきだと訴えることでもない。14歳での妊娠・出産をきっかけに親子愛や家族愛に目覚める少女の話を作りたかったんだろう。俺はそのように解釈した。妊娠を知ってから出産を決意するまでに「命の大切さ」を示唆するようなエピソードがあったか? 確かに橋の欄干の向こう側に迷い込んだ子犬を助けたが、川に落ちてみたら意外と浅かったというオチがついている。捨てられた子犬を拾ったというのも、子犬の命を助けたというよりも、親と離れ離れになってかわいそうな子犬、という風に描かれていたと思う。ともかく主題である親子愛・家族愛に「抽象化」する過程で少年少女の性欲に関連するものを「捨象」した、というような意味で俺は書いたんだけど、こう考えると寛大な人なら誤用でもないんじゃないか、と言ってくれそうな気もする。

もう一つ余計な事を書いておくと、このドラマを観た感想として、産む決意をした彼女の意志を尊重したいと思います、というのはあっても、私も妊娠したら中学生であっても産みたいと思います、というのはあり得ないと思う。少なくとも制作者側は想定してないだろう。まともな中学生であれば出産のリスクだけでなく子育ての厳しさも想像できるはずだ。だからこんなドラマを見て中学生が真似したら大変だ、けしからん、という批判も当たらない。

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