脚本が一人になると演出の巧拙がわかる場合がある

「花より男子2(リターンズ)」(TBS系金曜 22時〜)で最も気になっていたのが宇多田ヒカルの挿入歌の使い方。いきなりボーカルから入るこの曲を挿入歌として使うのは難しいだろうな、と第 1 話・2 話を観て感じた。前回の大塚愛の曲の方が良かった。誰がこんな曲を「イメージソング」として押し付けたんだ。こんなに宇多田ヒカルを憎んだのは初めてだ。と思ったら、第 3 話・4 話ではうまく処理しているように感じられた。ディレクターによる巧拙がよくわかった一件であった。

第 1 話・2 話のディレクターはいわゆるチーフディレクター、第 3 話・4 話担当は二番手のディレクターである。俺は二番手のディレクターを好んでしまう傾向があるのだろうか。2005年のドラマ「がんばっていきまっしょい」でもそうだったし、昨年2006年の「クロサギ」でもどっちかというと二番手の平野俊一の担当回の方が好きだった。別に石井康晴の演出がダメってことではないよ。第 5 話は再び筆頭の石井氏だったが挿入歌の使い方に違和感はなかった。もしかしてディレクター陣も気にしていたのか、第 6 話ではとうとう冒頭のボーカルを省略して使用していた。この回の演出はディレクターとしては三番手となっている二人目のプロデューサーが担当していた。

これまで「脚本が良くても演出がダメな場合がある」とか、脚本が複数人だと回によって出来にばらつきがあるとか書いてきたが、脚本が一人になると演出の巧拙がわかる場合がある。前述の「クロサギ」では筆頭と二番手のディレクターはいいのだが、片平なぎさがゲスト出演した第 9 話、あれはマズイと思った。ディレクターが代わるとこんなにダメになるのか。これとは直接関係ない話だが、「クロサギ」は脚本家があえて詳細まで書かずにディレクターに投げ出して、ディレクターの演出に任せたり役者がアドリブを追加したりするということもしていたらしい。そういう作り方もあるんだ。それまではいつも脚本中心でドラマを観ていて演出や演者はそれに従うものという前提がなんとなく頭にあったので、これからは演出や役者の演技もちゃんと観なきゃいけないな、とそれを知った時思った。

ところで道明寺司(松本潤)の「言いまつがい」キャラは2005年の「花より男子」第 3 話の脚本サタケミキオ・演出片山修の回から始まったものである。この設定が原作にないものだとしたら、三番手として参加したフリーのディレクターが関与したと思われるこのキャラが当たったのを見てチーフ石井氏は雷が落雷して悟りを開き直った思いだったろう。この路線を踏襲して今回は一皮むいてるかなと思ったがそうでもないようだ。もっともこのキャラはあくまでスパイスであるし、本筋のストーリーがよく練られているようなのでそれで十分である。ただアカシロ(明白)だとか言われてもわかりにくいし「ぴあ」をシェイクしてシェイクピアなんて姿は痛々しい。ノリの心臓とかベンは急げくらいがちょうどいい。試しに「急がば回れ」とつぶやいてテーブルの周りを一周してみればカメラはそれを俯瞰で撮ってくれてナイスアイドルが頭に浮かぶかもしれない。エーセー教育受けてなくてもラム睡眠の最中に言う寝言も水金地火木ドッテンコロリンじゃなくてハミングイェイの小説の一節になるかもしれない。

第 6 話だけだと思うがアパートの床が抜けたり大きな荷物として運ばれて来た箱の中から現れたり、急にギャグマンガっぽくなったりしておかげでそれまでの眠気が吹っ飛んだ。かと思えば終盤の大事なシーンもちゃんと押さえてあるし。加藤夏希の扱いにちょっと手こずってる感はあったが。欲を言えば加藤たか子の「あたしがかつて愛した男」の話ももっと聞きたかったが、今回の流れだと蛇足でしかないか。

「どこ触ってんのよ」といえば前日の「拝啓、父上様」第 5 話で福田沙紀と二宮和也の胸を揉んだ揉まないの押し問答があったが、あそこだけつまらなかった。自分の胸を揉んだか揉んでないかというより、例えばシングルマザーの子である男の子が母親の恋人に向かって「お母さんのオッパイ揉んだでしょ」とからかってるような感じだった。

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