「命の大切さ」って何かね

「牛に願いを Love&Farm」(関西テレビ制作、フジテレビ系火曜 22時〜)というドラマ、実家が北海道の酪農家だった(過去形)者として、観ているともどかしいというかだんだん腹が立ってくるというか、でも一晩たつと忘れちゃうんだよね。

第 1 話の冒頭で実習生のリーダーが「命の大切さ」がどうとか言ってるのを見てアホかと思ったが、このドラマのプロデューサーまでもが「命の大切さ」とか言ってるようだ。これでは救いようがない。

北海道の牧場を舞台に男女8人の姿を描く青春群像劇『牛に願いを Love&Farm』 (フジテレビ、2007年 7月 5日)

ただし俺は一度も乳搾りをしないうちに実家が酪農をやめて黒毛和牛等の肉用牛に転換してしまったので、この先書くことは「半人前」と言われるこのドラマの主人公よりも情けない男の意見であることを初めに断っておく。

子牛が売られると聞いただけでショックを受けるってのは、まあ素人はそんなもんなのかな、と思ったが、乳牛が怪我したり乳が出ないという理由で「淘汰」されると聞いて泣いたり実習から脱落したりするような軟弱野郎は酪農には向いてないよ。牛は「経済動物」である、という表現が何度も出てくるが、「経済動物」っていう言葉は聞いたことなかったな。どっかの大学や専門学校で使われてる言葉なんだろうか。ともかく牛は酪農家にとって資産であるから一頭一頭に損害保険を掛けている。大きな病気にかかって手術したりしてこれ以上牛乳を搾っても出荷できないとなった場合「安楽死」という形で処分されることがある。処分に至った経緯にもよるが酪農家には保険金が支払われる。確かに素人にとっては牛という動物を「殺す」行為に見えるだろうが、じゃあ君達が日常的に食べている牛肉は肉用牛を「殺す」ことによって食べているんじゃないのか。ジンギスカンも羊の肉だよ。昔アニメ「アルプスの少女ハイジ」でもユキちゃんというヤギが処分されそうになってハイジやペーターの努力でなんとか逃れたというエピソードがあったが、このドラマでも同じようにして処分を逃れることにするのであれば、子供向けアニメと同等の内容だな。

じゃあ畜産農家は肉牛を「殺す」行為に何の罪も感じないのかと言われると、だって人間は肉食動物だから、食べるための家畜を育てるのは我々人類の生きる知恵でもあるんじゃないのか。いちおう馬頭観音の供養だかには行っているようだ。そんな最終的には確実に殺される肉牛をどんな気持ちで育てるのかというと、それなりに愛着を感じて接しているし、たくさん食べてそこそこ太っていい肉になれよ、ってとこだろうか。生まれてから10か月位育てたら家畜市場に売るのだが別れを惜しむこともない。「ドナドナ」という歌の歌詞を聞いて悲しくなったこともない。子牛は次々と生まれてくるし。牛にもいろんな性格のがいて、人懐っこいのもいれば、すぐ逃げるすばしっこいのもいるし、あの牛は今頃どこにいるのかな、それとももう肉になっちゃったかな、と時々思い出す程度である。「安楽死」処分されて固く冷たくなった牛を見てどう思うかというと、おやすみなさい、とかお疲れさま、って感じかな。

ところで中村獅童演じる獣医が一人で「家畜診療所」経営って、このドラマは農業共済組合の協力を得られなかったのか。

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上に書いた家畜が死んだ時の損害保険もこの農業共済組合を通して掛けているし、獣医さんもここに所属している。

第 1 話で実習先の大学教授による「1リットル75円」に始まる説明、まことにその通りなんだけど、身内の葬式にも行けないことがあるというのはちょっとおおげさかな。そういう時は近所の人に助けてもらうし、最近は酪農ヘルパーもいるし、ああでも酪農ヘルパーは数か月前からの予約制だから急に来てくれと頼んでも他の農家から予約が入っていれば無理かな。それから昨年の牛乳大量廃棄処分、実は 6〜7年前に生乳が供給不足に陥ったことがあって、たぶんそれをきっかけに国や農協が酪農家にどんどん設備投資させて大規模化を推進して、その結果生産過剰になったという見方もある。つまり農政の失敗である。ただ牛乳の消費が年々落ち込んでいるのは事実なので、酪農家や農協が牛乳や乳製品を売る努力をしなかったのも悪い、というのが花畑牧場の田中義剛の見解だったか。

抗生物質を投与している牛にミルカー(自動搾乳機)を付けてホースをパイプラインにつないでいるのを見て、あわててバルククーラー(タンク)に入るホースを抜く場面、俺は見たことないが気持ちはなんとなくわかるな。うちでも同じ事をやって一日分の牛乳を全部捨てる羽目になったことがあった。両親が話してるのを聞いてるだけでもそのショックが伝わってきた。そういう牛の乳を入れてなくても乳質検査が月 3回あって体細胞数・生菌数が基準値から外れていたら乳代に影響するから、うちの管内では農協が毎回自主検査していてどの牛がクロか毎日気にしていたようだ。

第 2 話で大学教授が農林水産省の官僚の息子に期待するみたいな事を言っていたが、農家は基本的に農林水産省の役人や北海道庁の農政部の人間をあてにしてない。農業改良普及センターの指導を受けながらグリーンアスパラを生産してるのに、そこの普及員の中には農業の事を何も知らない人もいるらしい。あくまで農家から見て頼りにならないということである。

第 3 話で風邪引いて実習生が寝込んでいたが、1 話を観ればわかる通り酪農家は一年365日休みなんてないので、風邪引いて熱があっても仕事は休まないよ。休むのは入院した時くらいか。

このドラマをずっと観ていて最も違和感があるのは、大型トラックやトラクターその他農業機械がほとんど出てこないこと。今の酪農は農業機械がないと何も出来ないので、大型免許や大型特殊免許を持ってるのが普通である。うちの父親は両方持ってるし、母親も大型特殊免許だけは持っていてトラクターで牧草畑に「ジャイロかけに行く」とか言って行って来たりする。牧草を円筒形に梱包するロールベーラくらいあるのが普通だろ。なんか乳搾り以外の農作業が全部手作業みたいで、一般人が見たら酪農家の仕事ってこんな感じなのかと誤解するんじゃないか。牛を放牧しているようだが、放牧地に置いてあった乾草は一体どこからどうやってそこへ運んだのか。まさか全部人間が一輪車(農作業用)で運んだとか? 大杉漣さんなどの役者が大型特殊免許持ってないという事情はあっても、私有地なら許可を取れば無免許でも運転できるはずだ。

朝 4時に起きてのん気に朝ごはん食べてから仕事に行っているようだが、酪農家は朝 5時に起きて乳搾りをして牛に牧草を与えてから朝ごはんというのが普通だと思う。だから朝食は早くて 9時、遅ければ11時、獣医さんが来るのを待って牛を診てもらってから朝食なんてこともある。

関西テレビのサイトの「イントロダクション」に「緑濃い自然の美しさ、過酷さ」と書いてるが、このドラマのスタッフは北海道の自然の厳しさをどれだけわかってるんだろうか。都市部じゃなくていわゆる農村のだよ。そして農業という仕事をどのように理解しているのか。「北の国から」(1981年〜1982年)第21話で北村草太(岩城滉一)のボクシングの試合をこっそり見に来ていたつらら(松田美由紀)が雪子(竹下景子)と純に会って話すシーン、あのセリフは印象的だった。特にお金にもならないのに、汗水流して天気を心配して地べた這い回って、ああいう農家の暮らしって素敵なことなんじゃないのかな、というセリフ。実際に農作業を何年もやってみた人間にしかわからない感覚かもしれない。

こっちは牛の目の前で牧草と格闘してるのに、牛はこっちの事情など知る由もないからただ草を欲しがって食べるだけ、牛に対して腹が立つことは時々あっても商売道具だし傷付けるわけにもいかず、でも本気でぶっ殺したいなんて思うことはない。それは俺が物心ついた頃からずっと牛を見ているからか、それともアニマルセラピー・アニマルヒーリング的な効果があるのか。一輪車で配合飼料を与える時も一輪車をアゴで引き倒そうとするずるい牛もいるけど、今度ここを通る時は絶対うまく逃げてやるとか思ったり。牛の前をホウキではいていると必ず人の体をベロンとなめようとする人懐っこい牛もいる。乳搾りしてると牛に蹴っ飛ばされたり足を踏ん付けられたりというのは日常茶飯事らしいが、ミルカーを付けている牛の顔を見るとやっぱり気持ちいいのかな、とか思ったりした。毎日搾らないと乳房炎になるそうだし、でもミルカーを振るい落としてしまう牛もいる。乳搾りの最中も牛は小便・糞たれ流しだから、常に糞尿をかけられる危険と隣り合わせ。今の季節はハエが飛び交うので牛が尻尾でそれを振り払って、小便や糞が顔に飛び散ってくることもある。

農作業というのは単調な作業の繰り返し、前述したグリーンアスパラなんかは暇さえあれば雑草引っこ抜いて、朝から晩までそればっかり。大雨の日も台風が来ても毎朝収穫して毎日出荷しなきゃならない。こっちは冬はやらないからいいけど。アスパラも俺は何もやってないが、俺がこのブログでいまだに 2年前の記事に追記したり、今年 4月には画像ファイルをアップロードした記事すべてで記述を一部書き換えたり、昨年 1月にエキサイトブログからココログフリーに引っ越してくる際も全記事を HTML タグ手書きで書き直したり、こんな単調な作業の繰り返しを大して苦もなくやってしまえるのは、農家の息子だからかもしれない。

都会の人の目から見ると農業の厳しい現状、みんな借金を抱えているとか後継者がいないとか離農とかばかり気になるのだろう。でも農業をやってる人間は「北の国から」のつららさんのセリフのように、どんなに毎日重労働でも心の奥では「素敵なこと」と思ってるのかもしれない。だから都会の人が心配するほど暗くはないと思う。ワーキングプアだなんて思うこともない。

それから北海道のいわゆる農村の景色を美しいと都会の人は思うのだろうが、地元の農家にとっては別に美しくもない。段々畑にしても必要に迫られてたまたまそうなっただけで、美しい景観を見せようと思ってそうしているわけではない。放牧している牛や馬も見せ物ではない。緑肥用のひまわりや菜の花も緑肥すなわち肥料なんだから、時期を逃して見られなかったとかまだ刈らないでくれとか言われても困るわけで。

第 3 話に「牛乳の向こうに人が見える」というセリフがあったが、牛乳だけじゃなくすべての農作物をそう思って食べたり飲んだりしてほしい。都会の人は金出せば買えると思ってるだろうが、その農作物を作るのにどれだけの手間がかかっているか。それをお金で買えるというのは非常にありがたいことなのである。酪農に関して言えば農業機械の事故で指の一部や手を失ったなんて人がざらにいるし、俺の幼馴染は事故死している。そういう危険性や犠牲と引き換えに安くて安全な牛乳が供給されているということも心の隅に留めておいてほしい。

馬を扱う農家を取り上げるなら競走馬よりも農耕馬、ばんえい競馬にも触れてほしかったな。ばんえい競馬は北海道の農耕馬の歴史でもあり、昔の酪農家には必ず農耕馬がいたという。うちにも一頭いたそうだが俺が生まれる前に処分されたらしい。「北の国から」で "笠松のとっつぁん"(大友柳太朗)が農耕馬との別れを語るシーンがあるが、あれを観ると乳牛や肉牛には申し訳ないが農耕馬は農家にとって特別な存在なんだなと思う。

脚本が昨年「サプリ」(2006年 7月)一昨年「がんばっていきまっしょい」(2005年 7月8月)の金子ありさということで少しだけ期待したのだが、こんなもんか。といっても北海道の元酪農家の息子として観たらそう感じたというだけである。ドラマは視聴率取れなきゃ話になんないんで、視聴率取れるような内容にして、都会人に農業のありがたみを啓蒙してくれ。

追記: 8月22日

うちに昔いた農耕馬は一頭じゃなくて親子二頭だったそうだ。ちなみに母親の実家も農家で同じく二頭いて、うちに嫁に来る前の若い頃は裸馬に乗って畑へ行ったという。

8 話の離農勧告とやらは農協がするんじゃなくて、地元の農家が集まってその借金抱えた農家をどうするか話し合って決めるのが普通じゃないのかな。土地や機械を買ってやって助けてやるとか。農協の理事や監事は農家の人がやるものだし。「北の国から’98時代」でも有機農業にこだわって借金がかさんだ農家をどうするかを地元の人々が話し合っていた。それから上にも書いたように離農はそんなに暗くはないと思う。「北の国から」第23話で令子(いしだあゆみ)の葬儀に遅れてやって来てすぐ北海道へ帰った五郎(田中邦衛)の愚痴を兄弟が言っていたら清吉(大滝秀治)が、五郎は汽車で来たんですよ、と言うシーンがあるがその後に、我々は天災というものに対して諦めちゃうんです、という話をする。台風でメチャメチャにやられちゃうのも、借金抱えて離農せざるを得ないのも農家にとっては天災である。酪農ヘルパーの仕事を見つけたんなら完全な離農じゃないだろう。

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