猫の述懐

09032801

寒いとこんな風に子牛にくっついて暖まったりしています。実家の牛舎にいた猫はみんな死んでしまいました。残ったのはこの一匹だけです(追記参照)。

先日テレビで映画「犬と私の10の約束」を観ましたが、「恋空」とはまた違った意味で、起伏がないというか。映画「恋空」の場合は結構深刻な事件が起きたりしているのに、感情を描かずに淡々と過ぎて行く。「犬と私の10の約束」はただの紋切り型。まあ子供と一緒に観るならいいか。

それと函館に獣医学部はありません。札幌か帯広か、札幌市の隣の江別市か。札幌に住んでいる二人が、海外に留学する同級生を見送るために函館空港までバイクで行こうとしてましたが、札幌から函館までどのくらい距離あるかわかってんのかよ。普通に特急列車に乗って行けよ。病院からの電話で呼び戻された父親は南千歳か苫小牧で降りればいいだろ。

「犬の十戒」に

「言うことを聞かないときは、理由があります。」

というのがあるからには、犬のソックスがなぜか言うことを聞かなかった、実はこんな理由があった、というエピソードを入れなきゃならないと思うのだが、テレビではカットされたんですかね。

犬に関心ないので猫について書くと、猫は飼い主の言うことを聞かない生き物なので、「猫の十戒」なんてのを作るとしたらこれはないな。

「私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください。」
「私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。(以下略)」

この二つは野良猫の場合だと

「私は5年くらいしか生きられません。」
「私が死ぬとき、お願いです。私を探さないでください。私は死期を悟ったらあなたのもとを去ります。」

こんな感じかな。

うちはかつて酪農、今は畜産農家なんだけど、「家畜の十戒」なんてのもありかな。

「私は生まれてから死ぬまで、あなたに従い続けます。だから、できるだけ私を動物として扱ってください。」

子供の頃は鷄もいて、朝ごはんの前に鶏小屋に行ってまだ温かい卵を取って来たりしていた。たまに天井から逆さ吊りにされた鷄がぶら下がっていて、年を取って卵を生まなくなった鶏はこんな風に処分されて肉として食べられちゃうんだなあ、と幼心に感じていた。そういうのを見て育ったんで、酪農を描いたドラマで「命の大切さ」がどうとか言ってるのを観ると、アホかと思うわけです。「命の大切さ」という言葉は普通、人間の命について考えさせる時に使うものです。人間に従属する動物である家畜の命は、人間の命とは全く別種のものです。だからといって家畜の命はいくらでも粗末に扱っていいと考えているわけではありません。

映画では動物園の獣医師になってましたが、こういう家畜を扱う獣医さんもたくさんいるんです。そしてその獣医さん達が日本の酪農や畜産を支えているということも知っておいてください。

追記: 7月 7日

この猫も 6月初めに事故死してしまいました。とうとう猫が一匹もいなくなってしまいました。

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