作り手が最も「自由」

「派遣のオスカル〜『少女漫画』に愛を込めて」(NHK 総合金曜 22時〜)というドラマのタイトル、「オスカルが派遣!?」と思わせたくてこうしたんだろうけど、『ベルサイユのばら』を読んでない人にはわからないわけで。例えば

「日雇いの飛雄馬〜『スポ根漫画』に熱き思いを」

だったらどうなる?「父ちゃん、俺は今モーレツに道路を掘っている!」

冗談はさておき、ドラマの主人公が「ベルばら」の主人公に自らを重ねるという設定だと、じゃあこのドラマも「ベルばら」のような展開になっていくんだろうか、という方面に視聴者の関心が移ってしまい、なんだ「ベルばら」と違うじゃないか、と切り捨てられてしまう恐れがある。「ベルばら」への思い入れの強い視聴者ほど、「ベルばら」をなぞるようなストーリーだけを望み、現代の日本を舞台とするテレビドラマとしてのリアリティを求めなくなってしまうかもしれない。それを考えてドラマを作る側も、「ベルばら」をなぞるだけでリアリティのないものを作ってしまうという陥穽に落ちる危険性がある。

そんなことを気にしながら観ていたんだけど、どうやら杞憂だったようだ。いや「ベルばら」を読んだ人はどうなのか知らないが、読んでない俺は何の問題も感じなかった。「弾丸こめー、進撃」とかいきなり言われても、タマコメ?と何の事かわからなかったが。

最近の連続ドラマは説明過剰だったり無駄が多かったりして観てる方も途中で集中力が途切れてしまうんだけど、このドラマは細部を適度に省略して必要最小限だけ見せていく凝縮感が心地良い。そのおかげで話の展開も少し早めである。気がついたら45分経っていたという感じ。そしてちょっと単調な展開が続いたかなと思ったらすかさず主人公が妄想モードに入る。漫画家役の鈴木杏のハジケっぷりもいい。

ただ、何度か出て来た「自由」というキーワードの使われ方に違和感があった。第 2 話だったか、「漫画を読んでいる時は自由」いやそれは自由というより「幸福」の方が近いんじゃないか。第 3 話でも「私って最高!フリーダム!」それも達成感のようなものじゃないか。いきなり「自由」に行くのは飛躍だろう。「ベルばら」はフランス革命を描いた漫画のようだが、フランス革命の「自由」というキーワードにこだわり過ぎてるんじゃないか。

ここからはドラマと関係ないが、フランスという国は現在もフランス革命の精神にとらわれているらしい。例えばこんな記事があった。

「イスラム水着」の女性、プール入場を拒否される フランス (AFPBB News、2009年 8月13日)

イスラム教徒用水着「だめ」 仏の公営プール拒否で論議 (asahi.com、2009年 8月13日)

フランス革命の精神には宗教からの解放、具体的にはカトリック教会による支配からの解放・自由というのがあったので、公共の場に宗教を持ち込んではいけない、宗教からは中立でなければならない、と今でも多くの人が考えているようだ。特に学校教育の現場でそれが顕著で、フランスの学校は水曜日が休みでその日に教会に行く、という形で教育の宗教からの中立を保っているという。最近主に移民として入ってきたイスラム教徒の生徒は肩身の狭い思いをしているらしい。

確かにフランス革命以前はカトリック教会による支配があったんだろうが、フランス革命はイスラム教まで想定してなかった。キリスト教徒から見れば、イスラム教徒の女性の服装は日常的に宗教の戒律に拘束されている、前近代的で「理性」に反している、宗教から解放されねばならない、となるのかもしれないが、イスラム教徒にとってはそれが「正しい」生き方でありその世界観を異教徒に侵される理由はない。むしろフランス人の方がフランス革命の「自由・平等」の精神を盲信しているようにも見える。「自由」に束縛されているのである。キリスト教の世界観から解放された代わりに今度は革命の思想に支配されている。

「自由」という語は昔から中国や日本にあった言葉だが、英語の freedom や liberty の訳語として使われるようになったのは日本では幕末から明治以後である。でもそれ以前の「自由」という語の意味や使われ方と照らし合わせると、freedom や liberty の訳語としては適当でない、と当初は考えられていたという。それでも紆余曲折を経て、「自由」がそれらの語の訳語として普及してしまった(※)。

フランスにはフランスの歴史的経緯があってフランス流の「自由」があり、フランス以外のヨーロッパの国々にもまた異なる歴史と意味合いを持った「自由」があり、アメリカや日本、そして現在の中華人民共和国にもまたそれぞれ異なる位置づけの「自由」がある。「自由」という語の意味は世界共通ではないのである。そもそも「自由」は至上の価値なんだろうか?と、フランスとイスラム教徒の問題を見ていると思う。「自由」主義に私は疑問を呈したい。

※参考: 柳父章『翻訳語成立事情』岩波新書・黄189、1982年

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