「思想」の見えない人、「物語」の危険性

テレビドラマの話は Twitter だけでいいか。ブログに書いてもどうせ投稿後一週間程度しか読まれないし。

ブログに書くのは 2、3年後も検索エンジン経由で参照されそうなもの、他の誰も書いてなさそうなもの、という基準を設けている。Twitter でも誰かが書いてそうなことは極力書かないようにしているが、バックアップはとってない。過去ログを保存したり何年も公開し続ける類のものではないと思っている。テレビドラマの話題は Twitter にハッシュタグ付きで書いた方が多くの人に読まれるかもしれない。

などと思い始めていたが、140字数回のツイートだけでは言い足りないこともある。というわけでブログにも書くことにした。というか、今月はブログに書くネタがない、と思っていろいろ考えているうちにこんな文章ができあがった、というのが本当のところである。

「特上カバチ!!」(※1)の原作は「カバチタレ!」の続編であるから、「カバチタレ!」ドラマ版(※2)を観た者としては特に新鮮味はない。庶民のトラブルを行政書士が法律を駆使して解決、というのは同じ。不満なのは、「カバチタレ!」に出ていない住吉美寿々(堀北真希)がどういう人物なのか、どういう過去を持っていてどういう経緯で現在のようなキャラクターになったのか、そもそも行政書士になった動機は何なのか、というのが見えてこない事である。人物像がはっきりしないから、発言や行動の背景にあるはずの思想とか価値観とかがわからないから、何を言っても説得力がないし、どんな行動をしてもこちらは納得できない。例えば 2月21日放送回で「人としての良心」がどうとか言っていたが、どういう価値観を持っているかわからない人に「良心」と言われても、それがどういう種類の良心なのかわからない。行政書士ごときが「法律家」を名乗るのもどうかと思うが、法律は単なる道具にすぎないから、「良心」など微塵も持たない悪徳「法律家」も存在し得る。もしもそういう悪徳「法律家」が出てきたらこの女はどう対処するのだろうか、というのが見たいんだけど、やらないだろうな。

依頼人として出てくる人々も、いつかどこかで見かけたような、類型的な人物ばかり。それに対して純朴すぎる男が単純な正義感だけでトラブルを解決するという、勧善懲悪の童話のような話。悪人がいない回もあるが、世の中そんなにうまく解決しないよ。現実はもっと深刻な場合が多い。で、解決後の依頼人の人生は当然描かれない。無責任である。

番組名に「法律」と入っていながらちっとも法律の話をしてくれない裏番組に不満を持つ人々を取り込もう、というのであれば、2年前の「佐々木夫妻の仁義なき戦い」(※3)のプロレス的展開の方が面白かった。俺プロレス観ないけど、プロレスがスポーツでなく見世物で演出が入っていることくらいは知っている。

次は「コード・ブルー」2nd season(※4)の話。

「救命」であろうがなかろうが俺は医者に期待しすぎない、ただの医療技術者だろう、というようなことを2008年の 1st season の時に書いたので、それ以上書くことは特にない。人の死とどう向き合うか、というテーマに真面目に取り組んでいるようだし、ストーリー展開にも異論はない。

ただ、これはテレビドラマに限らずあらゆるストーリーものに言えることだと思うが、我々一般人は日常生活において、自分や周囲の人の「物語」を意識することはない。これをテレビドラマ等にするには、いささか無理やりであっても「物語」を作り上げることになる。「物語」には文字どおり語り手が存在する。誰かの視点から他の誰かを見て、あるいは自分自身を見て、なんらかの物語を作り上げたり関連性を意識したりするのである。でもそれは一つの視点から見た一つの解釈でしかない。人が死んだ後に、あの人はこういう人だった、と語る習慣があるが、それはまだ生きている人たちによる解釈にすぎないのであって、死んだ当人はそんな風に語られたくない、自分はそんな人間じゃない、と思っているかもしれない。死んだ人を語る時はその点に注意して慎重にするべきである。

テレビドラマはこの世に実在しない人物を作って語っているのであるから、すべての登場人物がある意味「死んだ人」であり、その「物語」が一つの解釈にすぎないことを忘れると、偏見を含む視点から一方的に語って無理やり「物語」を仕立て上げてしまう、という危険性がある。

「コード・ブルー」2nd season にそういう危険性を感じたわけではないが、ほぼ毎回出てくるいろんな患者やその周囲の人々の数々の「物語」も、ある視点から語られた一つの解釈でしかないということを心の隅に置いておくといいと思う。昨年12月に NHK で放送された「シスター」前・後編(※5)のような凝った作りのドラマにしなくても、多様な視点・多様な解釈が成立し得るということを忘れないようにしたい。話を広げれば、例えば日本の歴史には、先の大戦で死んだ人々をどう語るかという問題もあるわけで。

ところで先週 2月18日(木)の北海道新聞朝刊に、1990年にサハリンで大やけどを負ったコンスタンチン君(当時 3歳)を札幌医大病院まで運んだ海上保安庁の YS-11 の話が紹介されていた。これはドクターヘリならぬドクター airplane(どう略す?)だけれども、北海道で配備が進むドクターヘリは医療の地域格差解消という役割も担っているようだ。俺は医療関係者じゃないので詳しい経緯は知らないが、2008年の 1st season 放送終了後にドクターヘリが注目されるようになったことは確かである。

※1 「特上カバチ!!」TBS系日曜 21時〜

※2 「カバチタレ!」2001年 1月〜 3月フジテレビ系

※3 「佐々木夫妻の仁義なき戦い」2008年 1月〜 3月 TBS系日曜 21時〜

※4 「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命 THE SECOND SEASON」フジテレビ系月曜 21時〜、2008年 8月 1日の記事

※5 「シスター」NHK総合2009年12月11日・18日

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